DickEY SinG

社会の狭間のノモスの探求

誰もが感嘆の声をあげる、日光東照宮を作り上げたデザイナーの感性

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 美術にまったくの無知な私は美術館の数億円の絵画を流し見してしまうほど疎い、のだが、この時ばかりは違った。というより、誰もが立ち止まり感嘆の声をあげていそうだった。それぐらい日光東照宮の彫刻は日本人の感性に深く突き刺さった。

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 白地に黒の彫刻は映える。なんだってそうだ。対称というものを代表する白と黒。白の紙に黒の墨汁で書きなぐったら立派な芸術だ。日光の柱はさながら書道の彫刻のよう。立体的に浮き上がった黒龍がうねるように白い波を突っ切っているのは圧巻だろう。

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 御手水は参拝者の身を清める。華奢な装飾は心も清めるのだろうか、その風景を眺めると心が清らかな気分になりそうだ。波打つ青い文様はここが御手水であることを表す。

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 江戸時代でも遠い世界に鼻の長い生き物がいるということは知られていたという。古くは鳥獣人物戯画に虎や獏、架空の動物としての龍と共に描かれている。目にしたことのない象は龍と同列に扱われる動物であったのだろうか。

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 龍の目力は凄まじい。目は口ほどにものをいう、そんな言葉を体現するように陽明門の龍は通るものを威嚇している。仁王像の役割をこの龍がになっているのかもしれない。

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 木像があるはずのところにはダンボール。随分と落差の激しい情景だが、周りの装飾はそれを補って余りある。細かな金の柵はそこに守られていたものの格を示しているのか、少しばかり近づきがたい華麗さと荘厳さが備わっていた。

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 紅色は中国が好む色だが、東照宮では紅色が日本人に好まれるようにアレンジされている。 中国ほど派手さはないものの、日本の社寺より赤を強く打ち出しており、華々しくはあれど突き刺さってくる感じはないほどの優しさがある。

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 東照宮には伝説も含めあらゆる生物がいるが、この眠り猫ほど有名なものはない。東照宮の本丸、奥宮の入り口を護るように前足を踏ん張っているが、実は裏側に雀が舞っているのは余り知られていない。眠っているようにみせている猫という説があるこの眠り猫、おそらく本当に眠っているのだろう。

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 蒼い仁王像が鎮座しているさまは威圧感より違和感に訴えかけている。日本古来の素朴さ、というものからかけ離れている光景であった。古代ギリシャの彫刻もこのように極彩色であったというから、人間のイメージというのはつくづくあてにならない。

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 水面をかける鴨はマイナーな存在ながら東照宮ではもっとも間近で見れる動物。2羽いることからオシドリをかたどったものかもしれない。金と蒼の荒々しい大波をものともしないように大きな翼を広げている。

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 鐘楼の向かい側にあるのが鼓楼。太鼓があるだけあって窓がついており、ここから眺めたらさぞ気持ちいだろう。

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 唐破風の屋根は私の好きな日本建築の一つ。先端がへこんだカーブは建築をそっと包み込むような優しさがあって、豪奢だけが取り柄ではないことを感じさせる。

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 金の金網って洒落ているなという感想が出てきそうだが、この東照宮の幾何学模様は窓枠も含め、芸術作品って言えそうだ。嵌っている雪華模様も金を引き立てており、見ていて飽きがこない。 

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 本殿の天井の百ほどの龍はどれも異なる意匠をしており、息を飲む美しさであった。どんなものでも描き分ければバリエーションを増やすことができる、そう感じさせるほどひとつひとつが似ているようで異なる龍はやはり参拝者を威圧しているかのようであった。ここに至るまで見てきたどんな美術もこの拝殿の深淵には及ばない。一番の見所はこの拝殿であることは間違いないであろう。