DickEY SinG

社会の狭間のノモスの探求

ノルマ この忌まわしき言葉はソ連ではどのように達成していたのか?

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   ノルマという語はどこから来たのか?

 ノルマは人生につきものです。学生の時でも宿題のノルマ、社会人の時でも仕事のノルマとノルマ達成に日々精進していかなければなりません。ノルマ達成は人が生きる上で欠かせない目標なのです。そんなノルマは実はロシア語だということを知っていましたか?70年ほど前、シベリア抑留の際にソ連兵から毎日のように「ノルマ!ノルマ!」と言われ、その言葉を日本に持ち帰ったのがノルマという語が使われるきっかけだそうです。先人たちのノルマに比べれば命が保証されているだけましなのかもしれません・・・。

 今は亡きソ連ですが、当然のようにノルマはありました。労働者の祖国でもノルマはあるものなんですね。ですが、ソ連の事情は日本とはけっこう違っています。確かにノルマに対する努力はあります。ただ、ノルマに達成する努力ノルマの中身が現代日本には到底及びもつかないものです。今回はソ連ではどのようにノルマを達成していたか?どのようなノルマがあったか?を見ていきます。

 

   ソ連の労働者の実態

 旧共産諸国の大元であることからよくないイメージを持つ方が圧倒的に多いでしょう。北朝鮮みたいに牢獄のような巨大国家と思っている方が日本人が共通して持っている印象ではないでしょうか。しかし、実際のソ連は北朝鮮よりかはだいぶ「労働者の祖国」らしい一面がありました。職業選択の自由があるので転職が頻繁に行われておりました。住宅の売買に関しても違法でありながら黙認されており、国内旅行も特定の軍事施設以外は自由に訪れることができました。ソ連という国は不便なことが多かったが、北朝鮮並みの抑圧国家ではありませんでした。

 

   ソ連は官僚国家

 ソ連の社会体制は日本と異なっていました。日本では個人・団体が自由に会社を設立することができ、行政の監督の元で自由に商売に精を出すことができます。対してソ連では完全な縦社会で、100以上の細分化された省庁がそれぞれ子会社としての企業を持っています。経済産業省がものすごく細分化され物だと考えればいいでしょう。例をあげれば、医療・微生物工業省は医療機器製造企業を子会社を持ち、自動車工業省は自動車製造企業を子会社に持っています。これらが財務省やKGB(国家保安委員会)、法務省などと同列の省庁として存在していました。日本ではとても考えられない発想ですね。ソ連は独裁国家というより強固な官僚国家といったほうがいいのかもしれません。なお蛇足ですが、農業に関係する省は多く、化学肥料生産省、農業機械・トラクター制作省、穀物製品省、土地改良・水利省の4つがあるという大所帯。ソ連はGDPにおける農業関連の割合が25%と農業の重要度が極めて高い(日本は3%ほど)農業国でした。

 

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ソ連政府はどうやって労働者のノルマ達成意欲を引き上げたか

 ソ連設立初期からスターリン時代までは革命の情熱や発展していく経済に実感があったために労働者の労働意欲は高い水準を保っていました(スターリン時代でのサボりは流刑に直結するという事情がありますが・・・)。しかし、時とともに情熱は失われてゆき、高度成長期が終わると労働意欲は急速に減退していきます。「働いても働かなくとも給料が対して変わらない・・・。」となれば労働意欲は湧かなくなってきます。レーニン・スターリン時代は労働者の給料格差は3.5倍ほどありましたが、フルシチョフ時代では1万円ほどしか格差がありませんでした。これでは労働者の勤労意欲は湧かないのは当然です。また、ソ連では慢性的に労働者が不足しており、その上すぐに転職してしまいます。そのため、労働者を引き止めるためにわざと甘い査定をすることが多かったのです。労働者の勤労意欲を引き上げるためにソ連政府は何らかの策を持って勤労意欲を引き出す必要に迫られました。

 

 ボーナスで釣る

 いわゆるシベリア送りはスターリン時代の産物でした。日本人がイメージする強制労働や強制移住はフルシチョフ時代以降は行われておらず、労働者を恐怖で煽る手法はソ連末期では過去の産物となっていたのです。ソ連政府は労働者の勤労意欲を引き立てる新たな手法を見つけなければなりませんでした。そこでソ連政府が建てた対策がボーナスの増減。ノルマの達成度合いによってボーナスの支給を減らしたり増やしたりするようにしたのです。

 

 企業利益の還元

 1967年モスクワ南部のトゥーラ州のシチョーキン化学工場でとある実験が行われました。人員合理化によって浮いた賃金は労働者のボーナスになってもいいという日本では至極真っ当な試みが行われました。それまでは浮いた賃金は親元の省庁に取り上げられたために人員を削減しようという企業はゼロに等しかったのです。この企業利益の還元で該当の工場は生産高が3倍以上、労働生産性は4.1倍、利潤は5倍になったと言われています。今までが生産性が悪かったのは事実でしょうが、この数字自体が水増しっぽい感じがするような・・・。しかし、この方式の普及はあまり進みませんでした。

 原因としては下記の4つがあげられます。

①失業の発生が恐れられたこと

②節減賃金を親元の省庁が取り上げる方式がなくならなかったこと

③生産課題が引き上げられること

④労働者自身が労働強化を好まない

 

 チーム制の導入

 20人程度の労働者を1つのチームとし、企業と契約してノルマをもらい、その達成度に応じてボーナスを与えるという仕組み。成果主義にも言えることですが、ノルマは他の労働者のことを考える余地を与えず、自分さえよければいいという土壌を育みやすい。例えば、屋根が完成していないのに屋内塗料を塗り、雨が降って流れても放置するといったことがソ連では日常的に起きていました。そのような自己満足労働をなくし、本当の意味でのノルマを達成するために用いられたのがチーム制の導入です。1970年ズロービンが率いるチームが建設企業と契約を結んだことに始まりで、1986年での組織率は77%に達していました。と言っても名簿上での登録が多く実態を表していなかったようです。

 末端でのチーム制の導入が進まない理由としては下記のことがあげられます。

企業内に独立組織が生じるため、企業長が企業を運営しづらくなる。

中が悪い同僚と同じチームに入りたがらない。

労働が強化される割に賃金が上がらない。

チーム内の各人の貢献度を判定することが困難でこれまた悪平等になりやすい。

 

 

 独立採算性の強化

 賃金に関する規定は末端の企業が決められることはなく、親元の省庁や労働組合中央組織が俸給表を作成していました。賃金はあらかじめ国家が企業に支給されており、企業は儲かった利潤の中から返済していました(といっても、返済できなくとも補助金が出てあまり意味をなさなかったので危機感は薄かったようですが・・・)。こうした中、ソ連末期のゴルバチョフ書記長の元で独立採算制の強化が施行されました。これらの効果が見られる前にソ連は崩壊してしまいましたので、どのような結果になったかは不明です。これまでの改革がことごとく現場に潰されたことを思うとうまくいくとは思えませんが・・・。

 

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  労働者たちはどうやってノルマ達成に尽力したのか

 計画経済の運営には緊密な企業間の連絡が欠かせません。うまく機能しないと予定していた原材料が到着しなかったりとノルマが達成できないためです。その企業間の調整を共産党やゴスプラン(国家計画委員会)が行うのですが、実際はうまいこと機能していなかったのが実情です。末端の党組織は企業の使いっ走りにされたり、監督機能が有名無実化することも多かったようです。ゴスプランもまた末端から上がってくる要望のために監督まで手が回らないようになっていました。そのため、もはや中央政府はあてにならず、ノルマ達成のためには自らあの手この手で対応するしかありませんでした。

 

 営業担当者 タルカーチの存在

 ソ連では慢性的に物不足となっており、原材料を発注しても必要分の50%がそのまま手に入ればいい方でした。時には10%ほどしかこないこともあり、このままではノルマ達成など到底不可能な状況に置かれることもしばしばです。企業長はこの状況に対し、納入企業に対し追加の発注をしたり、地元の党書記に連絡を取ることでノルマ達成のための資材を受け取ろうとします。党書記の方も地元の経済向上のため、動かざるおえません。もっとも、これで問題は解決することはなく、企業長は部下を担当省庁や相手先の企業に送り込み、追加の資材を受け取ろうとします。こうして派遣される人間を「タルカーチ(押す人)」といいます。安宿に泊まって、門前払いをくらい、事務所をたらい回しにされながらも資材の契約をもらうことが彼らの仕事です。しかし、彼らの仕事の真骨頂は賄賂の選定。どのような賄賂を贈ったら契約にありつけるかをあの手この手で考える、涙ぐましい努力が必要とされるのがタルカーチという職業です。

 

 出稼ぎの活用

社会主義経済のソ連でも出稼ぎ労働は常態化していました。出稼ぎ労働者(ロシア語でシャバーシュニク)の出身地は中央アジアやカフカスなど産業が少ない地域。「故郷にいても職がない・・・。」という事情もあり、出稼ぎが一種の産業となっていました。働いただけお金をもらえるので彼らの生産性は非常に高く、企業長は出稼ぎを積極的に活用する事例が後を絶ちませんでした。本来ソ連で個人が人を雇う行為は犯罪ですが、黙認されていたようです。

 

 品質管理部門の省略化 

 日本では考えられないことですが、ノルマ達成のため品質検査がおざなりにされることが多々ありました。日本では厳しい品質管理を行って製品の質を高めれば企業の功績は上昇して労働者の給料は上がります。ソ連では品質検査を厳しくするとノルマ達成が不可能になり、労働者の給料が下がるという逆転現象が発生します。企業同士の縄張りがかぶることがないため、品質管理を怠っても売上が下がることはないからです。ソ連では1年間でテレビ発火事故で100人以上が亡くなっていますが、結局崩壊まで改善されることはありませんでした。

 

 諦める

 そもそもノルマ達成できなくともペナルティはそんなにありませんでした。企業が倒産して職がなくなっても転職先はいくらでもありますし、ボーナスが上がっても買うものなんてありません。商店は常に品不足で自動車の納入は申し込んで5年以上かかることが当たり前になっていました。ソ連の庶民の楽しみはせいぜい飲酒ぐらいでノルマ未達成に伴うデメリットなど特になかったのです。

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   どのようなノルマがあったのか

 

 神の手に代わる指標システム

ソ連では市場を否定したために神の手に代わるシステムが必要でした。そのため、売上だけでなく企業活動の諸側面についても受けられる指標システムが構築されました。ソ連企業は計画達成を最優先にして消費者の利益を無視しがちでありましたが、この指標システムを活用することで消費者の利益を向上しようというのが目的でした。ただ、この指標システムはおかしなことがままあり、生産物の重量が指標となることがありました。そのためにやたら重い自動車が生産されたり、分厚い鉄板が出荷されることがありました。ともあれ、指標システムは労働者のボーナスを決定する事項であるので順守されなければなりません。時には非現実的な指標も出されましたが、労働者は健気に指標を気にしていました。

 

   ノルマ外の人々

 散髪屋に大工や民宿経営、個人営業の医者に家具製造者など企業の傘下に入らずに個人営業が許される職種もありました。これらの人々はノルマとは無関係に生活することができました。ただし原材料の入手が困難なので、横流し品で対応することが多くありました。しかも年金制度の整備が行われておらず、すでに年金生活に入った老人しかやっていけないという事情もありました。

 

    まとめ

 「シベリアで木を数える仕事」はスターリン時代の産物であり、フルシチョフ時代以降はノルマ未達成=死ということは無くなりました。むしろ労働者にとても甘い国家になったので、労働者の勤労意欲は減退してしまいました。締め付けすぎるもダメ、甘やかしすぎることのダメということですね。ソ連が発展しなかったのも国家構造上の理由がありますが、労働者に勤労意欲があったら今日のようなロシアにはなっていなかったでしょう。ソ連ではノルマ達成しなくとも緩やかな処分で済まされるようになったのに対し、日本では過労死が国外でも通用してしまうほどノルマに厳しくなったのは不思議なものですね。